カネ吉山本|創業明治二十九年。本場近江牛

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Omi-Beef Story|近江牛にかける思い

近江牛の定義 本当のところ。

何故、「近江牛」は今日の名声を保っていられたのか?

少し前までは、「近江牛」というものの共通で厳密な定義というものは、実を申し上げますと、はっきりとしたものはないも同然でした。
いくつかの団体が集まって業界としてのガイドラインを定めてはいましたが、その殆どが自主規制などによるもので、解釈も店によって微妙な違いがあったり、法的拘束力があったわけでも、守らなかったからといって何か罰則などがあるわけでもありませんでした。

何故、それなのに「近江牛」は今日の名声を保っていられたのか?

近江牛とは、もとはと言えば銘柄としての名称というよりも、例えば「○○(地名)で採れた野菜はおいしい」などという意味での、単に「○○(地名)の牛」という意でした。そしてそれは松阪の牛でも神戸の牛でも本来は同じことの筈なのですが、そのままにしておくと、良い、美味しい、そういう評判が立ってきた場合に、それを利用しようと、近江の牛でないものまで、または粗悪なものまで「○○牛」を名乗る者が出てきてしまいます。そこで、有志が「○○牛」を名乗っても良い最低限の条件を付けることとなります。

「本当に良いものを提供したい」という
思いによって守られてきた近江牛。

ところが、近江牛に関しては、近年までその最低限の条件すら曖昧であった、ということはどういうことなのか?

それは、ひとえに、長きに亘って、「近江牛」の名はその担い手一人一人のモラルや自助努力に委ねられ、守られてきたということであります。
近江牛は、法律や規制などによって守られてきたのではなく、それぞれの、「本当に良いものを提供したい」という思いによって守られてきたのです。
これは、もしかしたら「信じられない」と思う人もいるかも知れませんが、少なくとも、近江という土地では、それが可能でした。

そしてそれこそが、近江の地では規範となっている、近江商人の心でもあります。

近江商人としての誇りと感謝を胸に。

形式的には『近江牛』の範ちゅうであっても、
「質のよくないものは近江牛としての販売はしない」。

おめでたい時や行事の時にはカネ吉山本の近江牛でお祝いしてくださり、遠方からの客人に出すものは「カネ吉山本で間違いない」と言っていただいております。

カネ吉山本でも、例えば、形式的には『近江牛』の範ちゅうであっても、「質のよくないものは近江牛としての販売はしない」など、商人仲間や或いはお客様との暗黙の了解と、それよりも厳しい内規を自らに課し、「近江牛」に愛着と誇りを持ち、それらを忠実に守ってきました。

「三方よし」の理念を胸に、信用を何よりの財産とし、「よい商い」を求め続け、
「近江牛」を守ってきた。

「近江牛」を扱う商人や職人から飼育農家に至るまで、皆、ただただ、近江牛を近江牛として育て、販売すること、先人が築き上げてきた歴史と伝統を決して汚さないこと、多くの近江商人がそうしてきたように、「三方よし(売り手よし・買い手よし・世間よし)」 - 「売り手と買い手だけでなく、その取引が社会全体の幸福につながるものでなければならない」という理念と、1つずつ、1人ずつ築いていく信用を何よりの財産とし、その誇りと感謝を胸に、ひたすらにその意味での「よい商い」ができることを求め続けてきた結果として、「近江牛」を守ってきました。

もしも「自分だけが良ければ良い」「法律さえ守っていれば何をしても良い」「今だけ大きく利益を上げれば良い」などといった者が多かったら、近江牛の名はとうの昔に地に堕ちていたでしょう。 この後も、「近江牛」を、高めるのではなく守るでもなく、ただ利用することしか考えないような者ばかりなら、すぐに「近江牛」の名は廃れていってしまうでしょう。

何故近江牛なのか?近江牛にかける想い。

「どれだけ良いものを提供することができるか」という競争で
「近江牛」やその食文化を高めていく。

余談ですが、近年に発足した「近江牛生産流通推進協議会」が認定する「認定近江牛指定店」があります。粗悪な業者はある程度は排除できるのかも知れませんが、それは同時に、認定する基準の最低限度さえクリアしていれば「指定店」になれるということでもあります。
そうなるとその「最低限度」が問題になるのですが、緩すぎる基準では、かえって「近江牛」全体のレベルの低下を招いてしまうことになるのではないかという懸念があります。

カネ吉山本は、カネ吉山本だけが良ければ良いという考えはありません。
「カネ吉山本」という名前そのものが売れることよりも、「近江牛」がより高まっていくことの方を、より望んでいます。
近江牛の歴史と同様に、カネ吉山本にも百二十余年の歴史がありますが、カネ吉山本は、古きものにすがり付く気も、新しきものに流されるつもりも、ありません。古くとも新しくとも、良いものは良いのです。良いものを提供する店に新参も古参もありません。より良いものを提供する店が良い店なのです。

カネ吉山本は、「どれだけ売れるか」「どれだけ利益をあげるか」という競争は、どなた様とも致しません。しかし、「どれだけ良いものを提供することができるか」という競争であるなら望むところです。そうして切磋琢磨していき、結果として「近江牛」やその食文化を高めていくことになれば、まさに「三方よし」であります。

お出しする「近江牛肉」に、
私たちの「すべての想い」を託して。

カネ吉山本が守り続けてきた「近江牛」には、誇りと自信があります。
鍛えられてきた、確かな目があります。
伝えられてきた、確かな技術があります。
「もっと良いものを提供していきたい」という、志があります。

「どうして近江牛なのか?」

その問いかけに対する答えは、私たちがお出しする近江牛肉に、すべて詰まっています。
カネ吉山本の近江牛肉を、是非一度ご賞味くださいませ。

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